Source: Patagonia, Inc. Blogフランスとスペインにまたがるピレネー山脈を横断するGR10で最速記録を狙ったトレイルランナー・南圭介。挑戦のなかで南は自分自身と対峙し、2つの真実に気づいた。 ―それで、自分の核心に触れることはできたのですか? 「ええ、今回はかなり近づけたと思いますよ」 2024年10月、南圭介はかつて語った言葉どおりにGR10の最速記録(FKT)に挑み、完走を果たした。フランスとスペインにまたがるピレネー山脈を横断するGR10は全長914km、累積標高51,400mにおよぶトレッキングルートで、通常なら踏破に45日から60日ほどかかる。南はこのトレイルを、西から東に向かって9日と21時間13分で走り抜いた。 挑戦前、南はこう話していた。「長距離を走ると自分が見たかった世界に入っていけそうな感覚があって。そこで、自分の核心に出会える気がするんです」と。この長い旅のなかで、彼は自分の身体にまとわりついていたあらゆる衣を少しずつ剥いでいく。そして、これまで見ることができなかった場所に辿り着いた。 2024年8月に行われたインタビューはこちら 身体感覚と実際の走りのギャップ トレイルランを始めてから約8年。長距離レースを何度も走ってきた南は、100マイルや200マイルの世界で自分の心身に起こる事象については、おおよそわかっていた。問題はその先だ。 GR10の西のスタート地点であるアンダイエの町を出発すると、3日目までは風が強い日が続いた。ときおり雨も混じり、標高2,000mを超えたあたりからは雪に変わった。コース上にはルートを示す赤と白のマーキングがついているが、不明瞭な箇所があり、2時間もコースロストしてしまう。行程表よりも大幅に遅れが生じていた。 ひとつめの大きなピークダウンが訪れたのは、4日目のことだった。 朝、ホテルから出ると雨が降っている。前日は107km、22時間も動き続けているし、すでに身体が重い。疲労からくる眠気と闘いながら、なんとか区間ごとのタイムスケジュールで進むことを心がけた。身体の感覚と実際の走りにギャップが生まれ始めたのは、このあたりからだ。 「身体は重いのに、脚は動いていてスピードも出ている時間帯があったかと思えば、逆に調子よく走っているつもりが、まったく身体が動けていなくてペースダウンしている時間帯があったりしたんです。こういうギャップは、これまで味わったことのない感覚でしたね」 この日、GR10でもっとも標高が高い2,509m地点の峠へと向かった。石灰岩がゴロゴロしている岩稜隊を進んで峠のてっぺんに到着すると、撮影クルーやフランス人のハイカーたちが待っていてくれた。映像監督のマルコが、登山中のハイカーたちに南の挑戦について話したところ、長い時間、峠に留まって一緒に待っていてくれたのだという。温かい声援を受ける。 「すごく嬉しかったですね。でも身体はきつかったし、気持ちも全然前向きじゃなかったから、せっかく待っていてくれたのに、あまりいい反応も返せなくて......」 その先の下りで、さらに身体が動かなくなった。後から振り返ると、ハンガーノックだったのかもしれない、と南は言う。麓に下りて、サポートカーで少し寝て、地元のパン屋さんで購入したブルーベリーマフィンを食べたら、一気に復活した。生物が脱皮するかのごとく、ここから調子が上向いていく。 「一度つぶれると、その後は必ず調子がよくなっていくんですよ」 予想どおり、5日目と6日目は順調だった。 6日目を走り終え、近くにとった宿に入って、サポートクルーたちと行程を見直した。すると、思わぬ勘違いをしていたことに気づく。南は9日台のゴールを目標に、スタートから9日目の11時間25分で完走する予定を組んでいた。それは日数でいうと、8日台でのゴールを意味する。つまり1日短い行程表をつくって、進んでいたわけだ。遅れた分を計算しても、まだ12時間ほどのアドバンテージがあることが判明する。 「このままいけば、予定どおりに完走できそうだ」 気持ちに余裕が生まれた。それまでは、夜、宿に着くと4時間の睡眠をとっていたが、ここから先はもう少し睡眠時間を確保することに決める。7日目も大きなトラブルなく進み、宿では5時間眠った。しかし8日目、このチャレンジで最大のピンチが訪れる。 もっとも辛かった8日目。低体温症になりかける 朝、ホテルを出ると雨だった。山間部には霧が立ちこめていて、少しずつナビゲーションに誤差が生まれたため、何度もリカバリーしながら進んだ。 「その前の2日間が調子よかったから、そろそろ落ちる頃だろうなとは思っていたんですよ。案の定、落ちましたね」 気分がまったく上がらない。疲労の蓄積から全身の筋肉はすでに固まってきていたが、走り続けていると次第にほぐれていくことがわかった。とにかく動き続けるしかない。岩稜帯でポールを折ってしまい、それ以降の登りは身体ひとつで登らなければならなくなった。峠に着く頃には暴風雨に変わった。どこかでサバイバルブランケットを取り出して身体に巻こうと思っていたが、風を避けられそうな適当な場所が見つからず、仕方なく走り続けた。スピードがまったく上がらない。南が遅いことを心配した撮影クルーが車で麓から上がってきてくれた。その車を見つけると、南はほっとした。車内に入り、乾いたウェアに着替えて、温かい食べ物を補給する。低体温症の一歩手前だったのだ。 「ひとつの反省点として、レイヤリングで油断してしまったところがありました。その前のエイドを出たとき暖かかったので、ウールの長袖Tシャツにレインジャケットを羽織っただけで出てしまったんですね。たとえ荷物になったとしても、もう一枚、着るものを持っていくべきでした」 車では上半身だけ着替え、下半身は着替えていない。そのため、この日の最終区間では冷えで関節が固まり、臀部がとてつもなく痛む。あまりのつらさに、走りながらうめき声が出た。 「もう、声を発しないと耐えられなかったんですよ。自分のなかに辛さを留めておけなくて、声を出すことで前に進んでいました」 夜になり、コース上にある宿まで歯を食いしばって走った。もう身体はまったく動いていない。結局8日目は93km、累積標高5,971m、22時間5分動き続けた。部屋でシャワーを浴び、ご飯を食べ、4時間眠った。 どれだけ「覚悟」があるか 9日目は8時44分にスタートした。この挑戦で初めての明るい時間帯での出発だ。なんとも晴れやかな気分、太陽の光はこんなにも力をくれるのか。しかし、疲労はもう頂点に達しつつある。南は夜と朝の感情をこう表現する。 「宿に着いてベッドに入った瞬間は天国かと思うくらい幸せを噛みしめるんですよ。でも一瞬で朝になる。起きた瞬間は地獄だと思いました。またあの一日が始まるのかとね。まぁ、自分で決めてやっていることではあるんだけど」 すでに770km走ってきた。距離にともなって疲労の度合いは強まり、気持ちは上がったり下がったりする。脚の痛さ以上に、心を保つのが難しくなってきた。おそらく以前の自分なら途中でやめていただろう、と南は言う。でも、今回はやめなかった。 「それは覚悟があったからだと思う。達成できるかどうかは、最初にどれくらい真剣に覚悟したかにかかっているんです」 この日も淡々と進み、78km、累積標高4,461m、16時間動き続けた。残すところ85km、あと1日で終わるだろう。 食べて寝る、それだけの日常が愛おしい 最終日。さすがに脚の痛みがひどくなっている。いつもはできない箇所に足のマメもできていた。とにかく焦らず、自分のペースを維持しながら進むことに集中する。フィニッシュまであと22キロという地点で、向かい風とゴロゴロの岩場に翻弄された。すぐに町に着くかと思っていたのに、なかなかうまく進まない。ようやくゴールのバニュルスシュルメールに辿り着くと、21時を過ぎていた。 町の人たちは、いつものように晩ご飯を食べている。そこに広がる日常の光景を目にしたとき、南は心の底から愛おしいと思った。 「この9日間あまり、自分はスピードとの勝負だったけれど、町にはごく普通の日常の時間が流れている。なんて素敵なんだろうと思いましたね。食べること、寝ること、もうそれだけで人間は幸せなんだなって、ゴールしたときに感じました」 スタート地点のアンダイエとフィニッシュ地点のバニュルスシュルメール、2つの地名を記した壁画の前に立つ。サポートしてくれた仲間たちがいなければ、決して辿り着けなかったゴール。南は涙が止まらなかった。 魂から発せられた言葉で、目が覚める 「僕はGR10で、2つの大きなことに気づかされました」 帰国後、南はそう振り返った。 ひとつめは、当たり前すぎて、その大切さに気づけなかった「日常の幸せ」だ。山の中をたったひとりで走っていると、何度も人恋しくなった。心を通わせられる存在を求めた。そして、いつも近くにいてくれる友だちや家族のありがたみが身にしみた。 「これまで、誰かが何かしてくれたことに対して感謝の気持ちを抱くことはあったけれど、そうじゃないんだと。ただ近くにいてくれるだけでありがたいことなんだと気づきましたね」 そしてもうひとつ、気づかされたことがあった。それは、南が自分の生きざまとしてトレイルランニングを選んだ原点にも繫がるものだ。ランニングを通して「人の痛みを知る」ということ。 南がトレイルを走るには、明確な理由があった。 10代の頃、南は父親と折り合いが悪く、家に居場所がなかった。中学の終わり頃からクラブに通い始め、サイケデリックトランスの魅力にはまっていく。そして、ドラッグと出合った。20代になってからは海外のフェスやレイブを巡り歩いて放浪生活を送り、トランスミュージックとダンス、ドラッグによって得られる鋭敏な感覚に引き込まれていく。「その頃は、自己意識の内側への探究心が大きくなっていたんです」と彼は言う。しかし、その繊細な感覚は、あくまで一時的なものに過ぎないということにも、南は次第に気づき始めていた。 ちょうどその頃、祖父の法事で日本に一時帰国することになる。そして、少年時代から自分のことを我が子のように可愛がってくれた父の妹、「まみちゃん」と呼んでいる叔母と、ある場所で再会する。(詳しくはドキュメンタリー映像に委ねるが)久しぶりに会った叔母は喉頭ガンの末期だった。家族に対して反抗心を剥き出しにしていた少年時代からずっと南に寄り添い、ときには厳しく叱ってくれた叔母は、ガンのためにかつての面影がないほどに痩せていた。病のために話すのも困難な叔母はしばらく黙って南と向き合っていたが、やがて、こう声を絞り出した。 「あなたがいままで薬物で無駄に使ってきた命を、私によこせ。私は心の底から生きたい。いますぐ、無駄にしてきた命をよこせ!」 これまで何度も忠告したにもかかわらず、いまだにドラッグから離れられずにいる南を見て発した言葉。 利尻島出身の叔母は、自らの力で人生を切り拓いてきた人だった。高校卒業を機に上京し、銀座でホステスとして働きながら、ついにはオーナーママとして店を持つまでになる。南はそんな叔母をずっと尊敬していた。 「あれはまみちゃんの魂から出た言葉でした。あぁ、僕は言わせてはいけないことを、ついに言わせてしまったと思ったんです。変わらなければいけない、今度こそ本気で」 そして南は、生き方を変える方法としてトレイルランを選んだ。本気で走る姿、生まれ変わろうとする自分を叔母に見せたいとひたすら願っていたが、間に合わなかった。 再会して約1年後、叔母は亡くなった。 「自分がもっと早く素直になっていれば、たぶんこんなことにはならなかったと思う。長い間、曲がりくねってしまったから、間に合わなかった。まみちゃんに、いまの自分を見せられなかった」...The post 日常の愛おしさ〜914kmの先にあったもの appeared first on Patagonia Stories.
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